主のゴミ箱

我慢は良くない

今日の愚痴について

こんにちは、レイニーです。

 

今週も1週間ずっと雨のち曇り空で外出できず、気分は落ち込んでく一方であります。

 

そんな中、今朝方嫌なお知らせがありました。

 

大学の卒業研究に関することで、僕と直接的な関係はあまり無いのにも関わらず、ある分野の研究のプレゼン資料を作成して欲しいとのことでした。

 

先程「欲しい」と書きましたが、実際は僕がプレゼンをするのが決定事項かの様な言い方でした。(くそ腹立ちました)

 

いやね、現時点で大学4年で既に内定も取り終わってるし、後は卒業するための卒業研究を進めるだけだし。卒検関係の命令ならまだ納得できるんですよ。その為に貴重な最後の大学生の長期休みが犠牲になることは致し方のないことだと割り切れます。

 

けど、上記とは無関係な(掘り下げると少しだけ関係はしてくるんだと思うけど)内容の研究で自分の時間を削らなきゃ行けないって結構苦痛に感じます。

 

自分の興味あること、興味なくてもこの先関係してくるもののために自分の時間を割くのはまだ許せます。 けど、今回全く興味のないこと、さらに全く知らない分野をさも知ってて当然かの様な振る舞いでいきなり「あれこれやれ」って言われた気がして「ふざけんじゃねーぞ。やりたくねーよ」って駄々をこいてしまったわけです。

 

まあ、直接駄々をこねて拒否して何もやらないでいるとあと半年お世話になる教授との関係も悪くなるし、最悪卒業に響くんで「ふざけんじゃない。てめーでやれや」っていう気持ちをしまったまま従うんですがね…。

 

けど、ただ従うだけなのも癪なんでわからないことなんでも聞いて、手取り足取り教えてもらおうと思ってます(ちょっとした復讐心です。くだらないと僕でも思います) 

 

やっぱり、文系高校なおかつ理系科目「なにそれおいしいの?(もう古いネタだな)」レベルで全力で遠ざけてたくせに、理系の大学に入ったのが間違いだったんですかねぇ…(理系大学と言っても僕が通ってるところはちょっと特殊で受験も数学や化学、物理使わないで入れたんですよね)

 

今更大学間違えたとか言うのも遅いですし、そんなこと言うと大学生活で出会った人たちの存在も否定することになるんで、入学したのは間違いだなんて思っていません。強いて言うなら、研究室配属を間違えましたね。

 

ということで、今日は教授のお願いという名の命令に腹を立ててたけど、どこにも吐き出すところがないのでここのブログに愚痴りました。 

 

大人な方は「社会人になるのにそんな甘えたこと言ってるんじゃねえ。こんなこと日常茶飯だし世の中甘く見過ぎだ」と思う方もいると思いますが僕も同意見です。けど、これからも甘く見させていただきます。

 

正直に言いますと、これからの社会人生活は舐めてます。まあなんとか生きれるっしょ感覚です。 以前ブログに「これだけは逃げちゃいけないものには絶対に逃げない」と書きましたが、学業や業務に関することは生活や立場に支障が出ない程度には全力で苦しいことから逃げるつもりですw

 

まあ、これの行いのツケで僕が野垂れ死にしようがこのブログを読んでくださっている皆さんには関係のないことですのでその時は「こいつ哀れだな」感覚で見届けてください。

 

今日は、捻くれた思想なおかつくだらない事の愚痴でした。 実際は、自分を褒めながらうまく適当にその場を収めるつもりで動いているのでたぶんなるようになるでしょう。 

 

では、また。

 

今日見た夢について

こんばんは。レイニーです。

 

今日は久しぶりにスケートができてリフレッシュできた反面、体力の衰えを実感した日曜日でした。

 

今朝方見た夢が結構印象的でそれについて書こうと思います。

 

内容はですね。実際に現在一度も犬なんか飼ったことないのに黒い大型犬がすっごい僕に懐いてて、一緒に添い寝してる夢でした。もう、犬が恋人なんじゃないかってくらいくっついてきて僕も起きた後「犬っていいかも」って思えた朝でした(実際に起きたのは昼過ぎですw)

 

正直、僕はあまり犬は好きとか嫌いじゃなくて普通ですね。ペットでしたら一番好きなのはウサギです。理由はあの何も考えてなさそうな顔が好きです(隙自語

 

あまりにも印象的で鮮明に覚えてたので、柄にもなくネットで夢占い(?)というワードで検索してをかけてみました。

 

調べによると、夢占いでの黒い犬って元々はあまりいい印象ではないらしいです。けど、「懐かれる」に限ってはいい意味ならしく、対人運が良くなる吉運らしいです。

 

そんで、次に犬と添い寝する夢に関してですが「自分の自由奔放な生き方に周囲がついて行けず、離れてしまうのではないかという不安」らしいですw  (検索しててなんか腹たったんだよなw)

 

それに加えて「他人が自分から離れる事を気にしている反面、他人の事を思い遣る気持ちがある」らしいですw (何をわかったような口調で言ってんだよ)

 

そして最後に「相手の立場になり、物事を考えていければ、自由奔放さを持ったまま周囲の理解も失わずに済む事が出来る」というありがたい(笑)アドバイスがありました。

 

まあ、率直な感想としては「一応不吉な夢ではないけど、自分の行動に慢心を持つな」ってことでしょうかね?w

 

「これからあなたには不幸が訪れます」とか明らかに萎えるような夢ではなかったんで、良かったと言えば良かったです

 

僕自身、占いとか全く信じないタイプで朝のテレビなんかで良く見る星座占いとか「早く今日のワンコシリーズ見させろよ」くらい無関心です。

 

そんな僕が今こうして、ネットで夢占いとか検索しちゃう行動と占いの言葉を自分の都合の良い解釈で納得させようとする感情に苦笑してますね。

 

年が重なるに連れなのか、それともここ数年の環境の変化にまだ心理的に気持ちが追いついていないのかはわかりませんが、以前の僕なら見た夢を気になることすらしませんでした。

 

けど、なぜか今回は夢が気になって夢占いを検索して良かったとすら思えます。

 

正直に言いますと、夢占いで言われていることが多かれ少なかれ当たっている節がありましたw 

 

たぶん痛いところを突かれたから、僕の占いなんぞに信じるかっていう(クソみたいな)プライドがあったから今もこうして自虐して平常を保ててます。

 

今回のことを改め、過信しすぎないように印象的だった夢は調べてみると面白そうだなって思えるようになりました。 

 

それでは皆さんおやすみなさい。 お体は大事にしてくださいね。

 

では、また。

今日聴いた曲について

こんばんは、レイニーです。

 

梅雨のせいで最近思うようにスケボーができなくてイライラが溜まる一方の日々を送っております。

 

皆さんはどうお過ごしでしょうか? 雨の日の時間潰しを良ければ聞かせてください。

 

今日は一曲、歌詞全部を書いて紹介しようと思います。

 

amazarashiの「僕が死のうと思ったのは」です。

 

『僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋(さんばし)で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える 過去も啄ばんで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな

薄荷飴(はっかあめ) 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど

僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから

僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り
僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと

パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ

僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから

僕が死のうと思ったのは あなたが綺麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ

あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ』

 

なんで今日はこの曲を聞こうと思ったのかは、ここ数日家に篭りっぱなしでなんか人肌恋しく感じてしまったんですよね。

(歌詞がいちいち刺してくるんだよなあ)

 

情けない話、僕はあまり人に甘えることが苦手です。深層心理で「男の癖に弱った姿を見せるのは恥ずかしい、ダサい」とでも思ってるんでしょうかね…。要は見栄貼ってますねw

 

もうこの考え自体が女々しくてダサいような気がしますが、何故か今日は人の温もりが欲しいなって思う自分に「俺弱いな〜」と自嘲しながら過ごしていました。

 

どうも僕は退屈な日ほど嫌な感情や思考に支配されがちです。

 

どうせ自己嫌悪して勝手に落ち込んで生産性のないことをするんなら、僕は外でぶらぶらしてるの方が性に合ってます。

 

僕の中でネガティブにならない方法は、たぶん体を動かすこと。今は趣味であるスケボーにだいぶ現実逃避できて嬉しい限りです(問題を先送りにしているだけな気がしますがねw)

 

 

早く梅雨明けないかな…。では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談だけど、新言語秩序のライブ行った方で僕死に→性善説のセトリ鳥肌モンじゃなかったですか?w

繋ぎからの始まりのパートにマジでシビれました(この感動伝われ)

接する勇気について

こんばんわ。 レイニーです。

 

みなさん、どうお過ごしでしょうか? また、最近コロナの感染者数が増えてって暗いニュースばかりで沈んでおります。 

 

今日も、1つ残念なことがありましてですね。それについて思ったことを好きな曲とシャグ(手巻きたばこの葉っぱ)を味わいながら気持ちを落ち着けております。

 

以前から僕に良くしてくれた、卒業されたサークルの先輩方と東京で飲みに行く予定を立ててましたが、昨今のコロナ禍で泣く泣く延期のお知らせを伝えました。

 

もう本当に残念で仕方ありません。久しぶりに会えてまたいつものような馬鹿ができると思ってましたが、お互いコロナにかかってしまったら少なからず人生に大きな支障をきたすのでやむを得ず見送りになりました。 また、落ち着いたら顔を見たい限りです。

 

さて、今回は「接する」をテーマですが、具体的に言うと僕がこの人は「これから先の人生でも長く接していきたいと思えるほど大切な人」ということで日々心掛けていることを書いていこうと思います。

 

みなさんって大事な人はいますか? 家族や恋人、友人、恩師など誰でも構いません。自分が心からこの人は「人として好きでこれからも関わっていきたい」という方でしたら、言葉の定義通りじゃなくてもいいと思うほどです。

 

「人として好きでこれからも関わっていきたい」と思えるような人はいました? これから書くことは、そんな人たちに対する僕の接し方ですので、まだ巡り合ったことが無いという方がいましたらまずは「この人に興味があるから仲良くしていきたい」という気持ちで行動してみてはいかがですか? すでにいる方は、これはあくまでも個人的な心がけですので「そんな考え方で動いてるんだー」的な感じで緩く見てくださると光栄です。

 

僕は先ほど上記のような例えで大事な人は少なからずいます。文頭であったサークルの先輩方もその括りです。 僕の捻くれた考え方なんですが、僕が大事だと思う人たちには僕から積極的に何かしらのアクションを取っています。例えば食事の誘いや何気ない時にたまに連絡をするなどです。相手が迷惑に思ったりしつこくしない様になおかつ向こうの都合(仕事が忙しいとか)に合わせながらフランクに接しています。

 

僕が大事だと思っている方達でもやはり一定の礼儀や気遣い、感謝や思いやりは必要だと思っています。「親しき中にも礼儀あり」という言葉もあるくらいに、僕は大事な人にはより一層礼儀と雑さを正しく使い分けるようにしています。

 

言い方に問題はありますが、僕が「この人は大事だ。長く付き合いたい」と思ってもそれは、あくまで僕の一方的な気持ちで相手には関係のないことです。相手が嫌だと思えばそれだけで関係は終了します。けど、それに対して相手を責めるようなことはしてはいけないと思います。

 

愛に見返りを求める行為は相手にものすごく失礼にあたることだとし、なにより自分が優しさや思いやりを送って、相手にもそれ相応の報酬を求める生き方は僕の中ではダサい生き方ランキングトップ5内に入ります。 この愛に見返りを求める行為って、本当に相手を好いているのではなく、相手に好いて優しくしている自分が好きだと思っています。 そんなの本当に相手のことが好きじゃないし、独りよがりオ○○〇です。 僕はそんな生き方絶対にしたくない。

 

話は反れましたが戻します。何が言いたかったのかというと、自分が大事だと思っている人には積極的に行動しろ。そして、その人に対して感謝と礼儀、思いやりは絶対に欠かすなってことです。

 

例えばですけど、自分からは誘わず常に相手の好意に受け身の人って周りにいませんか? そんで、その流れが当たり前のように錯覚して、さも「私には友達多いんですよ」ってアピールする方。

 

この受け身の人はずいぶん贅沢でわがままな奴だなって僕は思います。 たしかに、相手からくる行為は多少なりとも「好意」なのは事実だと思う。けど、いつまでも受け身ではその内、相手からの「好意の許容」はなくなるんじゃないかなと思います。 そんなの本当にお互いが信頼関係を築いていないと思います。

 

やっぱり、自分から好意を感じる人には積極的に接するべき。もし、相手に嫌がられたり疎遠になってしまったら所詮は「その程度の関係」ということで諦めたほうが得策です。(まあ、だいたいは自分の接し方や態度に原因があると思うのでそれを反省して自然と行動に表せるようにしてください。)

 

お互いがいい感じの距離感を保ちつつお互いが大事だなと思える関係性を築いている方たちは、どうかずっと礼儀と優しさを忘れずにこれからも大事にしてください。素敵な人生が歩めると信じています。

 

自分からアクションを起こさずに受け身の方でなおかつ、大事な人と呼べるか方がいないあなたは、それが自分から行動をしなかった結果です。疎遠になって当然です。相手はあなたなんか構う暇もなく大事な人たちと過ごしているでしょう。他人って自分が思っているより自分のことを見ていないですよ。自分から他人に積極的に関わらないと見向きはされません。けど、自分可愛さに相手のせいにはするな。 自分が変わらないと見える景色は変わらないです。

 

これは、経験論ですが自分から大事にしたい相手は積極的に関わっていけば相手も気持ちの大小はありますが大切にしてくれます。 けど、決して驕ってはいけません。 お互いが友好関係になった時ほど礼儀と思いやり、感謝は忘れちゃいけないです。

 

僕自身は、大事な人は少なからずいますし心がけを守って行動しています。そのおかげか今でも時折大事な友人やサークルの先輩方、恩師との関係が良好だと自負しております。

その反面、僕が好意はあっても蔑ろにしてきた方たちとは疎遠になっているか嫌われているくらいです。 けど、それは僕がやってきた行動なんで相手を責めることはしませんし、僕自身が取り戻したいと思えなかったんで「所詮はその程度の関係性」ということで諦めました。 どうも僕は八方美人にはなれないみたいです。 自分から関わりたいと思える人じゃないと他人に嫌われようが好かれようが感情が動きません。 

 

僕自身、性格は割と社交的で活発だと思います。だから知り合いはいるにはいますが「大事な人」と呼べる人は数少ないです。 多分これは、僕自身が人に対する「好き嫌い」がはっきりしすぎるなのかなって思います。 好きな人には積極的にアクションを起こしますが、苦手な人や嫌いな人には全く接しません。 仕方のない場面に遭遇したら、適当に外見上で接する程度です。 

 

僕は人とのかかわり方がある意味不器用なんで、好きな人たちにしか力をそそげないです。 だから、ある意味八方美人はいろんな人に力を注げているんで尊敬はしてます。 けど、僕はそんなやり方疲れちゃうんで、一定の数少ない大事な人を大切に接しようとしているのかもしれません。 多分これが一番性に合っているんだと思う。

 

 

今回は人間関係について話してみました。 読み返すとすっごい生意気なこと言ってて笑っちゃいましたねw  けど、これも僕らしいなと感じた記事です。 それと、僕が今まで接してきた人間関係での後悔とか戒めもあるかもしれない。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主コメント

 

大事な人に積極的に接する際、嫌われたり疎遠になったらどうするんだ?とセルフツッコミして考えた結果。 たぶん、俺は何が悪かったのか相手に聞くと思うし、まずは自分が相手の気持ちになって俺のだめだったとことを相手に伝えて謝ると思う。

関係性を再構築できそうなら、伝えるし願うが、ダメだったらもうしょうがなく諦める。 大事な人でも馬が合わなかったら結局は続かないんだし、執拗に追うことは俺ン中でダサい行動だから今までの楽しかった気持ちに感謝を込めて、お礼を伝えて去る。

少しの期間、落ち込んで反省したら、反省を活かしてまた前を向いていろんな人と関わっていくかな。

人生何があるかわからんし、いつまでもクヨクヨしてたら時間が勿体ない。

承認欲求について

どうも、一日にまさか2つ投稿するほどの気分屋が発揮しているレイニーです。

 

とは言っても、1つ目は夜中に投稿したわけで、僕的には今日が初投稿みたいな感覚です。

 

さて、今回は「承認欲求」について前々から感じてたことを書こうと思います。

 

最初に言っときます。今回の内容は不快になる方がいると思う。読むのやめとこうかなと思った方は今すぐ閉じたほうがいいです。 それでは、書いていきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんってSNSは利用してますか? 例えばラインやFacebookTwitter、インスタとかです。 僕も上記に挙げたアプリは普段使っており、よくツイッターとインスタは利用しております。 まあ、すっごい便利だし。自分が知りたい情報なんかもすぐに出てきますよね。 ツイッターはよく世界情勢とかテレビや新聞なんかには載らない情報を得るために活用してます(マスゴミほんと滅んでくれないかな…。あとくそつまらない内輪ノリだけのコメンテーター)  あと、好きなアーティスト情報や絵師さんのイラストを見るのにも使っております。 対してインスタでは僕が趣味としているスケボーの練習風景やメイクできた技を載せたりしています。

 

SNSをよく利用している方でしたら目にしたことはあるかもしれません。投稿で「#お洒落さんとつながりたい」「#美男美女とつながりたい」「#ラブリツください」とか見たことありません?  あと、テレビに出るような有名人でもない一般庶民が毎日自分の顔の自撮りや恋人同士のイチャイチャをたくさん載せている方っていません? そういった内容の投稿で女性と限らず男性でも多く載せている方っていますよね。

 

 

これはあくまでも僕の個人的な感情ですが、たまたま上記の投稿を見るたびに「こいつすっげー見ず知らずの他人から媚びてるじゃん。承認欲求の塊かよ。気色わる」と見ただけですぐ不快に思うタイプです。 まあ赤の他人だし、気にしなければいいじゃんと言われたら僕の器が小さいだけの話で今日の議題は終わっちゃいます。 今回は、なんで他人のことなのに勝手に不快に思っているんだろうという視点で考えていこうと思います。

 

ちなみに言っときますが、勝手に不快に思っただけであって直接ご本人様にアンチコメントや嫌がらせをするようなことは過去に一度もしておりませんし、今後もするつもりもありません。 僕自身、不快に思ったものは見ないようにして閉じてます。

なにかのアンチはもはや人の心を欠いたごみクズみたいなやつだなと思ってますし、絶対に奴らと同格になりたくないというちっぽけなプライドがあります。(言葉が悪いですね。申し訳ございません)

 

話がズレました。 なんで僕が承認欲求に飢えているような投稿に不快感を感じるのかと客観的に考えてみましたが、たぶん同族嫌悪なんかなって思います。

 

なぜなら、僕も似ている投稿をしているからです。 それは、先ほど申し上げたインスタでのスケボー投稿です。 

 

もっと言うと、仮に自撮りをたくさん挙げている方と僕がスケボーでメイクできた技をSNSに投稿する本質は同じなのではないかと考えております。

 

じゃあその本質とはなんぞ?ってなりますが、僕が思う両者の共通点って自分の試行錯誤でうまくいったものを「他者に見てもらいたい」「あわよくば、褒めてもらいたい」だと個人的に思っております。そして、その「映えた結果を褒めてもらいたい」は外側の結果を含みますが、「映えた結果の中にある私の努力を褒めてほしい」の内側の努力も含まれているのかなって思います。

 

この考え方に置き換えると、僕が試行錯誤でたくさん練習して動画をたくさん回して、数多くの失敗の中の成功した奇跡的な一場面を動画に残すのと自撮りをよく上げる方の自分がよく映る角度や照明をたくさん練習して、自分の顔をこれでもかってくらい撮り、その中の奇跡的な一場面を写真に残す。 両者はつかう道具や向上するための研究方法は違えど、数多くの失敗から成功へと導いた努力を見える形として残したことにはお互い同族だなと思います。そして、嫌悪の部分は自分の努力があたかも「ほかのみんなより努力してるし、なんであんな奴があんな俺でも簡単そうなものにみんなから見てもらえるんだ?」なのかなと。 そんで厄介なことに、本質は同じ「努力の結果」なのにお互いの方法と場面が違うだけであたかも「自分の方がすごいんだぞ」って感覚でマウントとって見下す傾向が強いと思います。 方法と場面が同じな場合でもマウントを取ってきたり見下す方は一定数いますが、そういった方はより同族嫌悪が強くて醜いです。

 

 

個人的な考えですが、その努力をなにかの形で報われたいと思うのもたぶん人間の性です。 その報われる形が、SNSの投稿によって、己の努力の承認欲求が満たされるのではないかなと思います。 SNSには「いいね欄」が形は違えどそういった機能はありますよね?

あれって、うまい具合に人の承認欲求を満たせる作りだなとつくづく実感します。

 

最近、この共通点に気が付いてから僕が彼らを見る目は変わり、僕も彼らも目に見えない努力を誰かに見てもらいたくて、「誰かが見てくれて正当な評価をしてくれている(ここではいいね欄に例えます)」という事実が知れたらそれが僕や彼らの「生きる原動力」に少なからず影響しているのかと思う。

 

当初の「彼らの投稿を見た瞬間に感じる不快」はあまり感じなくなりました。(ちょっとは感じるんかよってツッコミはありますが、僕もそこまで割り切れる人間じゃありません。そんなすぐには割り切れませんが、精進します) 

逆に、女優や俳優などの有名人やスポーツ選手のSNS上でも僕が先ほど言った例えと似たような投稿をする場面に直撃することがあるんですが、彼ら彼女もSNSに投稿したその本質は少なからず同じかもしれない。

 

俳優や女優が自撮りを上げる、プロスケーターが自身の技を上げる、絵師がイラストを上げるのは承認欲求があるんかなって考えると才能のない一般の僕にとって見たら少なくとも雲の上の存在の方たちが僕と同じ人であって、「ほしいものは一緒だ」と思えて安心なのかはわかりませんが気持ちが軽くなる時があります。

 

そして、もう一つ気が付いたことがありそれは「僕は僕の才能とその努力が成せる限界を知る大事さ。数少ない僕の成長の姿を見てくれる方たちに感謝しつつ成長の過程を見守ってほしいこと。そして、もし見てくれる人がいなくてもその成長を形あるものに日々収め、何もできなかった当初と見比べて自分で自分の成長を称えよう」と思えるようになりました。決して思い上がらず、謙虚に自分がやりたいことをただひたすらに頑張り自分の努力の結果は自分で褒めて、自分の力で生きる原動力にして人生を楽しむ。 

 

要するに、他人のすごさに嫉妬せず、向上心をもってより楽しく、自分自身を謙虚に自画自賛して生きようってことです。 

僕の人生の主人公は僕一人なわけですし、いつまでも他者を嫌って恨んで妬んだ生活を続けてればその人生の主人公がいつの間にか他者に変わります。 そんな他者の人生を歩むなんて僕が生きる意味はないです。 僕は、自分の人生は僕らしく歩んで生きたいんで

 

さて、今日は承認欲求について思ったことを書いてみたのですが、20歳前後の若造がなにを偉そうに言ってんだって思いました。 皆さんもそう思いませんでしたか?w

 

それと、書いてて感じていたのが自分が構想していたオチと結構路線がズレちゃいまして自分の文才の無さに呆れを感じましたね。 なんかいつの間にか人生論やSNSについて語るオチになってしまいましたw ほんとはもっとwearとか裏垢民の気色悪いハッシュタグ付けてる脳内いいね欲しがりさんにボロカス書くつもりだったのに…。

 

それでは、ここまで読んでくださって誠にありがとうございます。

 

どうか皆さんも、人生の主役はあなたですので、SNSの「いいね」の数に囚われないでください。「いいね」は他者の勝手な評価だけで成り立つ機能ですから「いいね」だけに囚われるとあなとの人生がいつの間にか他者のために成り立つ人生にすり替わってしまうかもしれません。 自分を大切に適度のストレス発散をして楽に生きてくださいね。(もしかしたら今日一番言いたかったことはこのことかもしれない説。だとしたらめっちゃ前置き長いじゃん…。えぇぇ…。)

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、登場人物が誰もいなかったので主のコメント

 

SNSの利用は思いやりと常識を持って、適度に使いましょう。ネット越しの人より身近の大切な人の評価が一番生きる力を与えてくれると思います。

メンヘラを患っている方は自分の気持ちよさを引き換えに、大事な人も傷つけている恐れがあります。即刻そのダサい考えと他人に依存する醜態はやめて朝日を浴びてください。以上です。

 

SNS上の恋人のイチャイチャに関しての思うことはいずれ書こうかな…。

 

音楽について

こんばんは。

今までブログはpcで書いてたんですがあまりにも処理が遅くてイライラしてスマホ版に移行したレイニーです。(前置き長いですね)

 

僕自身あまり機械いじりが得意な方ではなく、むしろくそ苦手です。

ちょっとアカウントの自己紹介文変えたいなって思って色々試してみたのですが、全く思うように行かずイライラしか溜まりませんでした。

 

結局2時間近く無駄に過ごして何書こうかなって思ったんですが、ちょうど今好きなアーティストの曲が流れてますのでそれについて長々と吐こうかなと思います。

 

皆さんって普段から音楽は聴きますか??

僕は毎日同じアーティストの曲をずっと聴いてますよ。 運転中は僕も釣られて熱唱したり、自宅に着けばラジオ感覚のように流しっぱなしです。 もう僕にとって生活の一部となってます。

 

 

 

 

 

 

そろそろ僕が普段なんの曲を聴いているのか皆さん気になると思いますので言いますね。(誰も読んでないのに何言ってるんだろうな…)

 

 

 

僕はここ数年はamazarashiの曲をひたすら聴いております。たまにlo-fi hiphopやjazz、エレクトロニカ(昔はEDMも聴いてたな)に浮気しますが、最後はやっぱりamazarashiに戻ります。

 

amazarashiの出会いは確か高校生の時、たまたまYouTubeで曲を聴いたとき「他のバンドとなんか違うな」って感じたのが始まりです。たしか、「季節は次々死んでいく」でした。

 

けど、たまたま出会ったamazarashiを知るきっかけとなった曲を聴いて最初はビビっと来なかったんです。

 

そんで、今どっぷりハマってるから言えるんですけどamazarashiの曲の8割はスルメ曲だと個人的に思ってます。

何回か聞かないとその曲のかっこよさがわからないと思うんですよね。僕はどの曲も数え切れないほど聴いてきて、今では全曲が素晴らしいです。ちなみにライブに行った時にだけ化ける曲もあります。

 

だから、最初に出会った「季節は次々死んでいく」は正直一回目聴いたときは微妙でした。けど、再生回数が結構凄かったのが気になって他の曲を漁った時にビビッとくる残り2割の曲に当たりました。

 

「吐きそうだ」という曲が僕の中で一番最初に聞いたとき「この曲えぐすぎないか(語彙力)」みたいな感じで衝撃を受けたのは今でも覚えています。その曲がきっかけで色々漁っていくようになり今では月額会員やライブに参戦するほど沼に浸かってます。物販もめちゃくちゃ買います。

 

沼にハマれた要因はもう一つあって、それは大学のサークルで一緒に活動していた先輩sさんです。

 

sさんは僕以上の熱狂的な信者でして、その方から物販品や特典を貰えたり、ライブ映像やcdを貸してくれたお陰でさらに良曲を発掘することができました。

 

そして一緒にライブなんかも連れてってもらい、ライブ視聴後は東京駅の居酒屋でライブの感想を語り、始発電車が来るまでカラオケでamazarashi曲縛りで歌い倒したのは大切な思い出です。

 

amazarashiの曲って暗い曲が多いです。けど、しっかり聴いてくと最後は前向きになれる歌詞があり、すごい心に刺さるんですよね。曲調もそれぞれ独自性があってカッコ良さがあります。

 

まあ、魅力をお伝えする文才は僕には無いので、もし今回をきっかけで気になった方がいましたら、(他力本願だが)よくおすすめの曲ランキングみたいなのがあると思いますのでそちらを参考にしてハマる曲があったら聴いて、実際のライブに行ってみてください。言葉で表せないほどヤバいです。ヤバいです。

 

たぶんamazarashiの話になると延々と愛を語ってしまうと思いますのでここら辺で切り上げようかと思います。

 

最後に3曲布教してみようと思います。

 

僕にとってはどの曲もそれぞれ独特な良さがあって甲乙つけがたいのですが、苦渋の決断でランキング形式でお伝えします。(今この場で考えただけなので、明日にはまた違う曲で総入れ替えされてます。仕方ないよね。どの曲も同じくらい好きなんですもん。)

 

1位 ワンルーム叙事詩

「雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて

それでも この自分って奴には 負けるわけにはいかない」

 

ここのフレーズが割と僕の生き方の主軸になりました。 

結構嫌なことから逃げ癖のある僕ですが、僕が「これだけは逃げちゃだめだ」って思う物だけには絶対逃げないようにしよう。どんなダサい格好でも立ち向かって足掻いてやろう。 

僕が自分の嫌いな部分に前向きになれた曲です。

 

2位 未来づくり

「今までのことなんて帳消しにしたいんだけれど 今日までの失敗なんて破り捨ててしまいたいけれど こんな僕だからこそ あなたが好きになってくれたって言うなら もういいよ もういいよ それだけでもういいよ」 

 

ここのフレーズで、こんなダメダメな僕を受け入れたあなたのその「想い」だけで僕が生きるには充分だよって感じがして現在失恋中の僕にグサグサ刺さって響きました(自虐出来るくらいには回復してるんでいい傾向ですがねw)

 

けど、これって僕とあなたではなく、僕が僕自身に置き換えると、自分の弱さやダメさを肯定して好きになれたら、自分の嫌な部分から生じる息苦しさが楽になれるんじゃないかな。

そう考えると、この曲は僕が自分の嫌な部分が「これもある意味俺だしなー」って感じに前向きになれた曲です。

 

3位 たられば

「もしも僕が生まれ変われるなら もう一度だけ僕をやってみる 失敗も後悔もしないように でもそれは果たして僕なんだろうか」

 

ここのフレーズは、僕自身の小中高の時代ってそこまで楽しい記憶がなかったんですよね。

まあ部分部分では楽しい思い出はあったんですが、大学生活があまりにも濃ゆくていい思い出が多すぎて全く思い出せない現状です。

 

けど、楽しい記憶はあまりなくても苦くて嫌な過去は割とすぐに思い出せます。それも結構あります。

そういった意味では僕は小中高はいい青春をあまりしてこなかったのかもしれませんね。

 

けど、小中高の苦くて嫌な過去を経験したからこそ、今の学びと喜びが多い生活が送れてるのかもしれません。 逆に言えば、もし小中高に苦くて嫌な過去を経験してなければ、今の時間は過ごせてないのかもしれません。

 

そういった意味で捉えると僕や皆さんも少なからず楽しくて幸せな時が過ごせるのは過去の嫌な時間を過ごした上で成り立っているのかもしれません。

そして、今辛い思いをしている方でしたら、その時を死なない程度に逃げて過ごせれば後に幸せだと思える時間が訪れるのかもしれません。(補償はできませんが、楽観的に考えないとやってらんないなって言うのが僕の心だけでもあります)

 

この曲も僕は過去の自分を認めて否定することをやめるきっかけとなった曲です。

 

さて、三曲紹介しましたがせっかくだから選んだ理由も書こうかなと思ったら予想以上に時間かかりました。 

 

たまに思うんだけど、僕が書いたブログ全部読んでる人っているんかな? いたらマジでこんな拙くて長いブログ読んでくださって僕はとても嬉しいです。

 

ちなみにレイニーという名前もamazarashiの雨(ama)から取って、尚且つ雨の日はスケボー が出来ないからっていう意味を込めております。(最近梅雨だけど全然ブログ更新しないじゃんってツッコミは受け付けておりません。僕すっごい気分屋なんです。ほんとごめんなさい。)

 

それでは、また雨が降ったときに書きますかな…。 では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回登場した先輩sさんへ

 

あなたの布教(ほぼ押し売り)のお陰で人生観を変えるほどの好きなものと出会えました。またコロナが落ち着いたら一緒にライブに行ってまたいつものようなバカしましょうね。

あなたの卒業式が終わった後でサークルでの打ち上げの時、僕にだけ先輩が大切にしていたamazarashiのCD集をあげたの覚えてます?

先輩はなんでもなさそうな顔してましたけど、僕は家帰ってそのCD聞いてたら、もうたくさん聴いてきた曲なのに何故か泣いたんですからねw 色々思い出が蘇ってきてあれほど「先輩留年してくれよ」って思った日は無いです。

そして先輩から貰ったcd集は今では大事な家宝です。「やっぱり返して」なんて言っても絶対返しませんからw

それじゃ、また近いうちに会いましょう。 

 

恋人について

こんばんわ。 レイニーです

 

前回のブログから約2か月放置してたことに僕の飽き性には呆れを通り越して笑いがこみあげてくるほどです。(まあ見てる人なんてあんまりいないので気にするほどでもないですね。わかります。)

 

さて、タイトル通り今回は恋人について僕が感じていること思っていることを煙草とお気に入りの曲を片手にだらだら書いてこうかなと思います。

 

たしか、2回目の記事にちょろっと彼女のことを書いたんですが、状況が変わりました。 はい、振られて先月しっかり死刑宣告を告げられましたね。

 

理由は、別に浮気されたしたとか喧嘩したとかじゃなくてですね、倦怠期を乗り越えられなかったっていう感じで別れを告げられました。

この言い方だと世間のありふれた別れ方の代表格のような気がしますが、僕とその子が過ごしてきた時間の中でたどり着いた「倦怠期」って二人だけにしかわからないと思う。

「浮気されて別れる」「冷めたから別れる」などの別れの言葉は世のカップルの共通な表現ですが、当事者二人にとって見たら「特別な時間を二人で共有して、特別な理由で別れて、そこには言葉では表現できない想いがある」って僕は思うんですよね。

だから、別れの真意は当事者にしかわからないし、曖昧な感情や気持ちを明確に言葉で表現するのって難しいなって今ブログ書いてて思います。僕が文才皆無とか口下手だからって言われたらそれまでなんですが、今の僕にできる表現はこれで精一杯でした。

この感情が皆様に伝わってるかはわからないですが、僕は別にはっきり伝わらなくてもいいかなって思います。僕と彼女が過ごした時間が「特別な時間だった証拠」って思えて逆に自分でもよくわからない安心感が芽生えます。

 

はい。なんかよくわからない自分語りをしましたがまだまだ書いていきます。「こいつなんか自分に酔っててキモイな」って思えた方はブラウザバックして閉じましょう。僕自身書いてても「こいつきっしょいな。中二病かよ」って思っているんで僕のためにも閉じてください。僕は恥ずかしい気持ちを感じながら溜まった感情を発散させていきます。

 

彼女(以降nさん)と付き合ったきっかけは、SNSで知り合って最初のデートで外見が好みだったからナンパまがいな告白をして約2年のお付き合いをしておりました。僕自身驚いているんですが、最初はすぐ別れるんだろうなって思ってたのが時間が経つにつれ彼女の内面が好きになり、本当に一途に想っていました。

 

今から言う発言は人としてとても失礼で最低な発言をしますが、僕は今までの恋愛は割と攻略ゲームみたいに付き合うまでのスリルや興奮を感じながら最終的に肉体関係になれることをゴールとして過ごしていき、本気でその子のことを考えて接していませんでした。

だからなのか、今まで付き合えた女性はいたとしても半年もかからずに別れてしまうことがほとんどでした。nさんとも最初は同じ感覚で接していました。けど、その子と過ごしていた時間はすごく居心地がよく、その間にいろいろな出来事があって、いつしかその子と過ごす時間が増えれば増えるほどnさんの内面的な部分が好きになり、本気でその子のために生きよう、力になりたい、もっと一緒に居たいと思うようになりました。

そこで、僕は二十歳すぎてから本当の恋愛をするようになりました。しかし、今までまともな恋愛での経験値があまりにも低かったため次第に口論が多くなり解決できないほどまでに膨れてしまい別れてしまいました。

 

今思えることは、過去の本当の恋愛をしてこなかった自分の未熟さにツケがきたから大事な人が離れていったのかなと後悔しています。それと同時に今までお付き合いしてきた方になんてひどいことをしたのかと自己嫌悪もしました。

 

僕自身今までの人間関係の過ごし方は20歳になるまで逃げや適当に接する形で過ごしていき、本気で人と向き合っていませんでした。本気で向き合い始めたのは大学2年からで今では少ないですが大事な人たちはいます。それと同時に傷つけた方疎遠になった方もたくさんいます。

 

本気で人と向き合って得た大切な人たちの存在や見返りを求めずに自分から行動する大事さを教えてくれたのはnさんとの過ごした時間でした。(もう一人いるのですがそれはまた今度絶対書かないといけないです。僕を救ってくれた大事な女性です。)

 

nさんと大事な時間を過ごしていく中、お互いの価値観のズレで別れてしまったのですが僕はまたやり直したいと思っていません。

理由は一度お互い腹割って話した結果の心の離れは二度とくっつかないと思っているからです。そして来年には事情により同じ土地にも留まれず物理的にも離れた距離でお互い過ごすことになるのも復縁できない理由の一つです。

 

僕自身nさんとの出会いのきっかけや付き合う過程はアレですが、人を本気で好きになって共有する時間のうれしさ、大事な人を大切に接することのよろこび、好きな人から最高の思い出をくれた幸せを知れたことにとても感謝しています。

人生80年の貴重な2年をnさんと共有できて僕はすごい幸せです。この思い出は将来忘れられないくらい大切なものな気がします。

 

人は一人でも生けていける方はいますが、僕は誰かと共に過ごして生きていたい側の人です。

これからの過ごし方はとりあえずnさんと過ごした2年分は僕の悪かったところの反省と自分磨き、趣味の時間に使っていき、友達やサークルの先輩とたくさん遊びながら僕自身を大事にして過ごして生きたいです。

 

僕は知り合いはめっちゃいますが、友達は少ないです。

けど、自分をさらけ出せて信頼できる人は片手で数えるほどで充分だなって最近思います。その人たちのためなら僕ができることは全力で力になりたいと思えるし、恩着せがましくするつもりもないし、僕が大切だと思える人たちが笑顔でいれるならそれだけで満足です。僕も好きな人たちが幸せに笑えるなら僕も幸せです。

 

割とマジでそれでクソゲー(人生)に生きる価値あります。

 

僕は将来合コンや結婚相談所とかで婚活するくらいなら生涯独身でもいいやっておもっているくらい性格に難があることを自負して場をわきまえています。だから、今後は女性にガツガツするつもりもありません。結ばれないときはしょうがないですw

けど、出会いって突然だと思うし、もしかしたら今後共に過ごしたいと思えるほど大切な異性が表れるかもしれません。僕自身、ここ数年で精神面にいろいろな変化があり人と関わることは好きなので新しい彼女ができるまでは気長にのんびりとスケボーの技術向上に楽しんでいようかな…w

 

もし、新しい恋人ができたら持てる力を全力でいき、次こそは無くさないように大事に想って接していきたいです。

 

長々と読んでいただきありがとうございました。どうかこの記事を読んでくださったあなたにも幸せに人生楽しく歩めることを願っています。 それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

今回登場してくれたnさんへ

 

今までお付き合いしてきた女性のなかで一番大好きだったよ。一緒に同じ時間を共有できて俺はすごく幸せだった。最後に悲しい思いをさせて本当にごめん。お別れは残念だし、正直未練は全くないかと言われるとウソになる。けど、俺は前を向いてこれから生きていくからそっちも幸せな道を進んでくれよ。

これからも元気でいてな、さようなら。