主のゴミ箱

我慢は良くない

承認欲求について

どうも、一日にまさか2つ投稿するほどの気分屋が発揮しているレイニーです。

 

とは言っても、1つ目は夜中に投稿したわけで、僕的には今日が初投稿みたいな感覚です。

 

さて、今回は「承認欲求」について前々から感じてたことを書こうと思います。

 

最初に言っときます。今回の内容は不快になる方がいると思う。読むのやめとこうかなと思った方は今すぐ閉じたほうがいいです。 それでは、書いていきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんってSNSは利用してますか? 例えばラインやFacebookTwitter、インスタとかです。 僕も上記に挙げたアプリは普段使っており、よくツイッターとインスタは利用しております。 まあ、すっごい便利だし。自分が知りたい情報なんかもすぐに出てきますよね。 ツイッターはよく世界情勢とかテレビや新聞なんかには載らない情報を得るために活用してます(マスゴミほんと滅んでくれないかな…。あとくそつまらない内輪ノリだけのコメンテーター)  あと、好きなアーティスト情報や絵師さんのイラストを見るのにも使っております。 対してインスタでは僕が趣味としているスケボーの練習風景やメイクできた技を載せたりしています。

 

SNSをよく利用している方でしたら目にしたことはあるかもしれません。投稿で「#お洒落さんとつながりたい」「#美男美女とつながりたい」「#ラブリツください」とか見たことありません?  あと、テレビに出るような有名人でもない一般庶民が毎日自分の顔の自撮りや恋人同士のイチャイチャをたくさん載せている方っていません? そういった内容の投稿で女性と限らず男性でも多く載せている方っていますよね。

 

 

これはあくまでも僕の個人的な感情ですが、たまたま上記の投稿を見るたびに「こいつすっげー見ず知らずの他人から媚びてるじゃん。承認欲求の塊かよ。気色わる」と見ただけですぐ不快に思うタイプです。 まあ赤の他人だし、気にしなければいいじゃんと言われたら僕の器が小さいだけの話で今日の議題は終わっちゃいます。 今回は、なんで他人のことなのに勝手に不快に思っているんだろうという視点で考えていこうと思います。

 

ちなみに言っときますが、勝手に不快に思っただけであって直接ご本人様にアンチコメントや嫌がらせをするようなことは過去に一度もしておりませんし、今後もするつもりもありません。 僕自身、不快に思ったものは見ないようにして閉じてます。

なにかのアンチはもはや人の心を欠いたごみクズみたいなやつだなと思ってますし、絶対に奴らと同格になりたくないというちっぽけなプライドがあります。(言葉が悪いですね。申し訳ございません)

 

話がズレました。 なんで僕が承認欲求に飢えているような投稿に不快感を感じるのかと客観的に考えてみましたが、たぶん同族嫌悪なんかなって思います。

 

なぜなら、僕も似ている投稿をしているからです。 それは、先ほど申し上げたインスタでのスケボー投稿です。 

 

もっと言うと、仮に自撮りをたくさん挙げている方と僕がスケボーでメイクできた技をSNSに投稿する本質は同じなのではないかと考えております。

 

じゃあその本質とはなんぞ?ってなりますが、僕が思う両者の共通点って自分の試行錯誤でうまくいったものを「他者に見てもらいたい」「あわよくば、褒めてもらいたい」だと個人的に思っております。そして、その「映えた結果を褒めてもらいたい」は外側の結果を含みますが、「映えた結果の中にある私の努力を褒めてほしい」の内側の努力も含まれているのかなって思います。

 

この考え方に置き換えると、僕が試行錯誤でたくさん練習して動画をたくさん回して、数多くの失敗の中の成功した奇跡的な一場面を動画に残すのと自撮りをよく上げる方の自分がよく映る角度や照明をたくさん練習して、自分の顔をこれでもかってくらい撮り、その中の奇跡的な一場面を写真に残す。 両者はつかう道具や向上するための研究方法は違えど、数多くの失敗から成功へと導いた努力を見える形として残したことにはお互い同族だなと思います。そして、嫌悪の部分は自分の努力があたかも「ほかのみんなより努力してるし、なんであんな奴があんな俺でも簡単そうなものにみんなから見てもらえるんだ?」なのかなと。 そんで厄介なことに、本質は同じ「努力の結果」なのにお互いの方法と場面が違うだけであたかも「自分の方がすごいんだぞ」って感覚でマウントとって見下す傾向が強いと思います。 方法と場面が同じな場合でもマウントを取ってきたり見下す方は一定数いますが、そういった方はより同族嫌悪が強くて醜いです。

 

 

個人的な考えですが、その努力をなにかの形で報われたいと思うのもたぶん人間の性です。 その報われる形が、SNSの投稿によって、己の努力の承認欲求が満たされるのではないかなと思います。 SNSには「いいね欄」が形は違えどそういった機能はありますよね?

あれって、うまい具合に人の承認欲求を満たせる作りだなとつくづく実感します。

 

最近、この共通点に気が付いてから僕が彼らを見る目は変わり、僕も彼らも目に見えない努力を誰かに見てもらいたくて、「誰かが見てくれて正当な評価をしてくれている(ここではいいね欄に例えます)」という事実が知れたらそれが僕や彼らの「生きる原動力」に少なからず影響しているのかと思う。

 

当初の「彼らの投稿を見た瞬間に感じる不快」はあまり感じなくなりました。(ちょっとは感じるんかよってツッコミはありますが、僕もそこまで割り切れる人間じゃありません。そんなすぐには割り切れませんが、精進します) 

逆に、女優や俳優などの有名人やスポーツ選手のSNS上でも僕が先ほど言った例えと似たような投稿をする場面に直撃することがあるんですが、彼ら彼女もSNSに投稿したその本質は少なからず同じかもしれない。

 

俳優や女優が自撮りを上げる、プロスケーターが自身の技を上げる、絵師がイラストを上げるのは承認欲求があるんかなって考えると才能のない一般の僕にとって見たら少なくとも雲の上の存在の方たちが僕と同じ人であって、「ほしいものは一緒だ」と思えて安心なのかはわかりませんが気持ちが軽くなる時があります。

 

そして、もう一つ気が付いたことがありそれは「僕は僕の才能とその努力が成せる限界を知る大事さ。数少ない僕の成長の姿を見てくれる方たちに感謝しつつ成長の過程を見守ってほしいこと。そして、もし見てくれる人がいなくてもその成長を形あるものに日々収め、何もできなかった当初と見比べて自分で自分の成長を称えよう」と思えるようになりました。決して思い上がらず、謙虚に自分がやりたいことをただひたすらに頑張り自分の努力の結果は自分で褒めて、自分の力で生きる原動力にして人生を楽しむ。 

 

要するに、他人のすごさに嫉妬せず、向上心をもってより楽しく、自分自身を謙虚に自画自賛して生きようってことです。 

僕の人生の主人公は僕一人なわけですし、いつまでも他者を嫌って恨んで妬んだ生活を続けてればその人生の主人公がいつの間にか他者に変わります。 そんな他者の人生を歩むなんて僕が生きる意味はないです。 僕は、自分の人生は僕らしく歩んで生きたいんで

 

さて、今日は承認欲求について思ったことを書いてみたのですが、20歳前後の若造がなにを偉そうに言ってんだって思いました。 皆さんもそう思いませんでしたか?w

 

それと、書いてて感じていたのが自分が構想していたオチと結構路線がズレちゃいまして自分の文才の無さに呆れを感じましたね。 なんかいつの間にか人生論やSNSについて語るオチになってしまいましたw ほんとはもっとwearとか裏垢民の気色悪いハッシュタグ付けてる脳内いいね欲しがりさんにボロカス書くつもりだったのに…。

 

それでは、ここまで読んでくださって誠にありがとうございます。

 

どうか皆さんも、人生の主役はあなたですので、SNSの「いいね」の数に囚われないでください。「いいね」は他者の勝手な評価だけで成り立つ機能ですから「いいね」だけに囚われるとあなとの人生がいつの間にか他者のために成り立つ人生にすり替わってしまうかもしれません。 自分を大切に適度のストレス発散をして楽に生きてくださいね。(もしかしたら今日一番言いたかったことはこのことかもしれない説。だとしたらめっちゃ前置き長いじゃん…。えぇぇ…。)

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、登場人物が誰もいなかったので主のコメント

 

SNSの利用は思いやりと常識を持って、適度に使いましょう。ネット越しの人より身近の大切な人の評価が一番生きる力を与えてくれると思います。

メンヘラを患っている方は自分の気持ちよさを引き換えに、大事な人も傷つけている恐れがあります。即刻そのダサい考えと他人に依存する醜態はやめて朝日を浴びてください。以上です。

 

SNS上の恋人のイチャイチャに関しての思うことはいずれ書こうかな…。