主のゴミ箱

我慢は良くない

自己暗示について

こんばんは、レイニーです。

 

最近あった出来事でずっと頭から離れないのでお酒の力を借りて書こうと思っております。

 

先週、元カノに会いました。

 

当初は同棲してた際に置いてった荷物やお互いの家の鍵を返す目的でした。

 

会う約束した前の週に元カノから「一緒に食事やカラオケをしたい」と言われました。

 

僕は、自分の中で未練は感じていないと思ってましたので元カノの頼みを了承しました。

 

ところが、会ってみたら色んな楽しかった思い出やその子の笑顔が蘇ってきて「もう未練なんか感じてないはずなのに…」という感情が湧きました。

 

食事が終わりカラオケに向かう車内で僕は「未練は無いと思ってたけどやっぱり忘れられない。〇〇のこと好きだ」と伝えてしまいました。

 

すると「私も〇〇(僕)のこと好きだよ。けど、また付き合ったら前みたいな喧嘩続きになりそうで怖い」と返されました。

 

僕は「やり直したい」と言いかけましたが、彼女の言葉を聞いて伝えるのを辞めました。

 

カラオケでは付き合ってた当時と同じくらい楽しく甘い時間を過ごせました。

 

あっという間の時間でした。すごい時間が名残惜しかったです。もっと一緒に過ごしたかったけれど、彼女はこの後予定があるらしく帰ることにしました。

 

最後に僕の家の鍵を返されたとき「本当に別れてしまったんだな」と絶望感と喪失感が込み上げてきたとき泣きそうになりました。

 

彼女から「悲しい顔しないでよ。また会お?」と言われたときもう泣く寸前でしたが、情けない姿を見せたくなかったため笑顔で家を去りました。(相当ぎこちない笑顔だったと思いますw)

 

車に戻ったとき、込み上げてくる感情に負けて落ち着くまで泣きました(結局泣くんかい)

 

僕は本気で彼女の事が好きだったんだと実感し、それは今でも気持ちは変わらないんだと思い知らされました。

 

僕は普段他人に対して感情的になることはあまりないです(隠してしまうの方が正しいかも)。

 

けど、彼女は唯一僕が怒ったり泣いたり心から笑顔になれたりなど複雑な感情を引き出してくれる人です。

 

なぜか、彼女の前では感情のコントロールが難しいんですよね。普段抱かない(隠せる)感情が表に出てしまいがちです。

 

別れた当初から実家に帰ってたときは「完全に忘れる事だできて前向きになれた」と思っておりましたが、どうやら自己暗示による強がりだったのかもそれません。

 

未練がましい僕は彼女にまた会いたいと連絡をしました。

 

向こうから「予定がまだわからないから来月会おう」となりました。

 

あと、半年で事情により彼女の住んでる県から遠く離れます。

 

それまでには僕の気持ちを整理つけて後悔しない行動をしたいです。

 

この先の人生いい女性に出会えるかもしれません。けど、僕には辛いことも含めて彼女の事が魅力的に思ってしまいます。

 

正直やり直したいです。(2回同じ理由で振られてるのにも関わらず…)

 

でも、今すぐ復縁したいと言うのはなんか僕的に違うなと感じております。

 

彼女の誕生日の月に、一度気持ちを伝えてみようと思います。

 

どう転ぶかはわかりません(十中八九負け試合ですし)。 けど、言わないで後悔するのだけはしたくないのでまたぶつかって想いを告げに行きます。

 

酔いの勢いに任せて情けないことばかり書いてしまいました。

 

それでは、また。

 

 

追伸

 

本気で人を好きになれて良かったと最近思う。別れた後に知り合いのリア充光景を目にするとマジで辛いな感じれるから

更新について

こんばんは、レイニーです。

 

最近梅雨が明けてクソ暑い夏がやってきましたね。

 

今日はブログの更新についてお話しします。

 

今年の梅雨すごい長かったですよね〜。

 

ブログを読み返すと、7月は重たい内容が多くて更新頻度も高いなーっとw

 

なんでこんな病んでんだ?

 

しかも、文字数多くて書いた本人が引くレベルでした。 

 

どっかの記事で見たことあるんですが

 

筋トレに例えると、人間って身体的なストレスがかかると心理的なストレスより優先して体を回復させようとするらしいです。

 

そんで、身体的なストレスを先に回復されるから心理的なストレスは割とどうでも良くなるらしいです(ソースはないので参考するかしないかは自己責任でお願いします)

 

 

つまり、僕は梅雨時期で全くスケボーが出来ず(身体的なストレスがないから回復しようがない)に心理的ストレスに直に向き合ってたから暗い気持ちが続いたんかなと考えております。(だから嫌な気持ちを軽減するためにブログを使って逃げてたんですよ)

 

そして考えて出した結論としては、梅雨明けしたこの時期は僕の心理的なストレスから逃げ放題なわけです。

 

家の中でずっと受動的な娯楽(映画とか漫画とか)はひと時の苦悩から逃れますが、僕には合いませんでした。映画や漫画自体は好きなんですけどね。

 

やっぱり、晴れた日に汗をかく娯楽が一番性に合ってます。

 

1日スケートができないだけでも体がなんか落ち着かないところまで堕ちました。

 

というわけなんで、しばらくはブログを更新しないと思います。

 

完全に辞めるわけじゃないです。怪我した日や雨降って暇な日にまた更新しようかなと考えております。

 

そして、馬鹿みたいにスケボーしてきます。僕にとって一番好きな娯楽だし、悩み事もクソどうでも良くなるくらい逃げれますのでww

 

では、また。 みなさんも熱中症に気をつけて日々の生活を楽しんでください。

 

 

 

 

 

 

追伸

 

梅雨明けしたのはいいけどさ。それにしても暑すぎやしないか? 何事も加減って大事だと思うよ

約束について

こんばんわ。レイニーです。

 

先日のブログは大変見苦しいものを書きなぐってしまい「また、黒歴史作っちまったよ…」の気分に陥っています。

 

今日も僕のところの地域は雨が降っており、気が滅入る一方です。

 

そんなときは、amazarashiの曲でも聴こうかなと思いまして夕日信仰ヒガシズムのアルバムに入っている「雨男」という曲を聴きました。

 

そもそも、夕日信仰ヒガシズムのアルバムって「スターライト」や「後期衝動」、「もう一度」「穴を掘っている」など大好きな曲たちが多いのですが、その中でも「雨男」は僕の中でダークホース的な立ち位置の曲です。ちょっと何言っているかわかりませんね…w

 

「雨男」は曲調が僕好みなのもありますが、「今は前向きになれる希望はない。けど、そこで立ち止まってたらいつまで経っても前は向けないんだぞ。進むしかないよ」という感じが伝わってきてとても好きな曲です。※あくまでも個人的な感想

 

けど、今日は見方が違ったというか言葉では表せない感情がでてきました。

 

Bメロにあるいくつかの歌詞なんですが

「未来の話は嫌いだった だから約束もしたくなった」

「久しぶりに電話を掛けてきた」

「馬鹿な世間話をした後に 約束したんだ「行こうぜ飲みに」」

「友達の約束を守らなきゃ それだけが僕の死ねない理由」

「本気で思ってしまった 笑ってよ 笑ってくれよ」

 

とことどころ抜けている歌詞はあるのですが、上記の歌詞のフレーズを聞いたとき2か月前大学の友人が単独の交通事故で亡くなったことを考えてしまいました。

 

ここからは、僕が彼のことを忘れないためにも記録していきます。 人って、忘れちゃいけないことでもだんだんと忘れてしまうから(それが人の死でも)。だから、僕がそいつとの思い出を少しだけ残します。

 

彼との出会いは、僕含め大学の喫煙所でよく授業をサボってスモークトークをするグループのいつメンの一人でした。

とても頭が馬鹿な奴です。けど、めちゃくちゃあいつのやらかしエピソードや度が過ぎた馬鹿行為は最高に面白く、ボケのセンスは羨ましいほどありました。

 

 

いつメンと言っても、ずっと一緒に講義を取っているわけでもなく、講義を途中で抜けて煙草休憩するときなんかで、たまたま彼もいて少し話してから講義に戻るっていう感じでした。

 

そして、忘年会などことあるごとにたくさんの馬鹿たちと宅飲みするときは必ず彼もいました。

 

僕個人的な関わりでも、時々くだらないことをラインで話したり、年に一回彼が夜釣りで釣ってきた大量の魚をアポなしで夜中僕の家に押しかけて朝方まで酒盛りする時もありました。

 

僕たちのグループはいつもずっと一緒に行動するというより、みんなが気分屋の自由人ですので適当に集まってくだらないことをしてる感じでした。 

 

上記にも書いてある通り、いつも通り気分屋の彼から夜中電話きていつも通りのくだらないことを話して笑っていました。 そして最後に「今はコロナでみんな実家帰ってるから落ち着いたら前みたいに飲もうぜ」って会話が終わりました。たしか、3月のことです。

 

そして、五月下旬同じグループの別の友達のTwitterで「お前はいい学友だったよ」みたいなツイートをたまたま見てしまい、なぜか僕は「おい、あのグループのやつに何かあったのか!?」という寒気が一気にきて慌ててツイートした友達に電話をしました。

 

電話をした時、その友達は「一昨日○○が事故って死んで、今日は葬式なんだとよ。俺も昨日知って今は落ち着いたけど、昨日は飯も通らなくて、昨日は○○(いつメンの何人かと)と居たけどずっとみんな黙ったままだった。お前は特にあいつと仲良くてやばくなりそうだったから、あとで言おうと思ってたんだよ。」

 

覚えている言葉はこれくらいです。正直他にも話した記憶はあるのですが、当時は動揺していたからかあまり思い出せません。

 

今もですが、僕やいつメンだったグループはコロナ禍なので直接葬式も参加することができず、まだ彼のお墓にも立ち会えていません。

 

今も、彼とのラインは電話した後の記録のままずっと残っています。読み返すとほんとうにくだらないことをしか話してないです。 けど、僕は彼の住所や電話番号すらも知らなくて何かを行動したくても現状何もできないまま実家に過ごしてます。

 

頭では彼が死んだことはわかっています。もう居ないんだとわかっています。 けど、なぜか死んだことが理解できないというよくわからない感情があります。 彼の死に際をしっかり目で観てないからなのと、あまりにも突然すぎることだったのかもしれません。 ちゃんとお別れをしていないからなのかもしれません。 僕は今までの人生の中で友達の死を経験したことがなかったので、今も2か月経っているのに彼のことを思うと、腕と胸が熱くなって、頭の中がぐわんぐわんする感じです。 表現の仕方がわからないです。

 

今日、amazarashiの「雨男」を聞いて上記のフレーズが彼のことを連想してしまい「飲みに行く約束をしたのになんで死んだんだよ。その馬鹿はわらえねーよ」って感じてしまいました。

 

今は実家に帰省しており、あと少しで大学がある県に戻ります。 幸い、彼の実家はその県内にあるので(むしろその情報だけしか知らなかったんですよね。今になってすごい情けないです)、彼が所属していた研究室の担当教授に彼の実家の住所を聞こうと直談判しに行きます。 そして、彼の実家に行って彼の仏壇に会いに行こうかと思います。

 

来年僕は大学を卒業して実家の県に戻りますので、今できることは後悔しない様にやれることはやろうと思います。

 

僕は彼のことは友達だと思っておりますが、僕は彼のことを全く知りません。 だから、彼のことを知ることで彼の死を受け入れないといけない。(これでいいんかな?)

 

今回、結果的に人の死をテーマとして彼のことを侮辱したかもしれない。本当はなにが正解なのかわからない。今の行動とこれからの行動はあくまでも他人である僕のエゴかもしれない。けど、他人に正解を求めちゃいけない気がするから、自分で間違えてでもいいから何か行動しないといけない。

 

彼に会えたら心の中で「なんでこんな早くに死ぬんだよ」って文句の一つは言いたい。

後は、土産にあいつの好きなセッター14mgとストゼロのレモンを置きたいな。 たぶん「常識ない!」って言われて、あいつの親に怒られそう。 怒られたら家に帰って俺が代わりに消費するかな。

 

本当は、「雨男」の歌詞の紹介とかしようと思いました。 けど、最初のくだりは楽しく書けたのに今は気分が乗らなくなってしまいました。

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

 

大学一年で知って飲み行ったりして、大学2年で突然夜中俺ン家来てドンキのレジ袋の中に食えるかわからない大量の魚を流し谷入れて魚捌いてさ「くせー!もう朝じゃん!今日1限あるのに酒飲んじゃったよ!もうサボるしかねー!」みたいなこといって二人でバカして、大学3年は釣りしたことないのに夜中いきなり連れ出されて太刀魚釣りしたけど、4時間粘って3匹しか釣れんくて結局俺ン家で捌いて朝まで飲んで一日中寝てて、大学4年も何かしら釣りイベントで俺ン家汚されるんだろうなーって楽しみにしてたんだよね。 

 

煙草吸うがてら、講義抜けていつもの喫煙所に行くと決まってお前もどこかの講義をサボってるんか知らないけど何故か居て「お!ここにはよくゴミが来るねえ!」みたいに頭悪い会話をし出してよく駄弁ってたな。 今思うと、もうこのくだらない会話ができないことがすごく悲しいし、本当にあの時楽しかったんだなって思うよ。 ほんとお前は後先考えない馬鹿野郎だよ。 一生お前のこと忘れないから。 お前のトーク最高に面白くてセンスいいよ。 またな。

 

わがままについて

こんばんわ。レイニーです。

 

今、この気持ちに整理をつけるため。文字にしてこのブログに記します。(a.m 2時のこと)

 

さっき、寝る間に携帯で2chまとめを観ていた時に「自殺するからお前らの人生で一番幸せだったこと語ってくれないか」というYouTubeでまとめられた動画を目にしました。

 

「適当にコレ見て寝るかー」程度の気持ちで視聴しました。

スレ主の自殺を思いとどまらせるためなのか、みんな結構まじめにレスを返していました。(中には適当なレスもありました) 優しいスレでした。

 

僕は過去のレスを軽い気持ちで見るつもりだったのですが、見入ってしまい最後は声を荒げるほどじゃないですがポロポロと涙がでました。泣くつもりなんて全くなかったし、普段滅多なことでは泣きません。

 

動画を観ている時、当然スレ主は「死にたい」という言葉が出てきます。 結び付けるのも変ですが、ふと以前別れた彼女も「死にたい」なんて言ってたなと思い出してしまいました。

 

僕は、今まで好意を抱いていた人から直接「死にたいと思ったことある」や「人生辛いから死んで楽になりたい」なんて一度も言われた経験がありませんでした。

 

僕はあの時なんて返したかあまり覚えていません。一度はこの先一生かけてこの人と添い遂げる覚悟を持てた女性でもありました。

 

おそらくは「俺は○○じゃないから死ぬも生きるも結局は本人の自由だし、たぶん俺じゃどうしようもできない。ただ○○が死んだら泣くし後悔はすると思う」なんて言ったのだと思います。嫌な記憶だったのであまり思い出したくないし忘れかけています。忘れるって便利ですよね。

 

あの時の正解の言葉は正直今でもわかりません。 今、考えてみてもなんて声をかけたらいいかわからないんです。 恋人とは言え、どこまでも他人である僕は完璧に彼女のことは理解できません。 自分自身たまにわからなくなる時もありますし。 

 

それに、あの子にも「誰にも共感をしてほしくない部分」があると思うんです。 僕にも踏み込んでほしくない部分があるから、おそらく「死」については彼女にとって共感してほしくない部分で、僕は彼女を僕の安易な発言で苦しめさせたくないから踏み込めなっかんです。 臆病なだけかもしれないし本当の愛じゃないのかもしれません。

 

けど、あの時の僕たちはお互いが好き合っていたと思いますし、お互い相手のことを考えていたと思います。たしかにそこには異性としての愛情があったと僕は思いたいです。 これを読んだ方は”これは○○だ”みたいに、どう判断するかわかりません。ただ、少なくとも僕は彼女のことが本気で好きだったという気持ちはこれからも否定しないでいくつもりです。

 

恋人目線なしで、あの子の人生は壮絶なものだと客観的に言えます。比べるのも失礼極まりないですが僕は家庭環境など恵まれている方です。最近になって、僕は肉体的にも精神的にも健康だし、自分を思っていてくれる家族がいて、ある程度不自由なく暮らせているんだから幸せなんだなと理解できるようになりました。 

 

別に今までが不幸だったと感じたことありません。 ただ最近、友愛や家族愛、自己愛以外に「異性から一人の男として愛されたい」と思うようになってしまっている僕がいます。ようは恋人がほしいなーって感じです。

 

前は、別れてしまった彼女が僕のことを一人の男性として好いていてくれて僕も同じ以上に好いて大切にしてました。 その彼女と別れてしまってから、喪失感をとても感じています。 正直今もです。

 

喪失感を埋めるために、自分の身を汚すようなことは一切してないし(例えば出会い厨とか)前を向くために自分を成長させていかなきゃと考えて行動しています。

 

ただ、時折ふとしたことで彼女のことを思い出してしまう自分自身に「未練残ってて弱いな」と感じてしまい、友人や知人がSNSなどで恋人と幸せそうにいる風景をみると「羨ましい」といった醜い感情が出てしまい自己嫌悪します。

 

「別れたのも2か月くらい前だし、すぐ新しい人を求めるな」「自分の喪失感で他人の恋愛を羨ましがるな」「家族や友達、趣味もあるのに贅沢に寂しがるな」と言った気持ちで醜い自己嫌悪をしたときは、頭の中で自分自身に毎度のこと言い聞かせています。

 

けど今でも、他のどの女性でもなく別れてしまった彼女のことを第一に思い浮かべてしまう自分の心の弱さ、愛情のどん欲さに苦しい思いをして過ごしています。

 

そんな自分の醜い部分は絶対に外に出したくないし出さないよう、上記の交流がある人たちには絶対に知られたくないので今日もふざけて馬鹿みたいに笑って、辛いことは趣味かなにかで誤魔化して一生懸命に生きています。失恋ソングや恋愛漫画なども今は精神衛生上よろしくないので避けています。

 

どうしても溢れて外に出そうだと思った時に、ときおりこのブログで顔の知らないあなたに僕の内側を読んで貰って救われています。 勝手ですけど助けてくださりありがとうございます。

 

何かで苦しくなって、悲しくなって涙が出そうな時はここに文字として残していきます。 読む人が0であっても、未来の僕が読み返しますので、その時は「過去の俺はどんなげ軟弱なんだよwww」と馬鹿にしながら読むとしますか…。

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸 俺自身へ

 

今は出会いがないから喪失感をあの子に縋っている部分があるんだと思う。本気で好きになったからこそ「この先、一生共にできる女性はできるのか?もう俺はずっと独りで生きていかなきゃいけないんじゃ?」って不安がっているんだと思う。 出会い厨や風俗通いに堕ちずに耐えなきゃいけない課題。 他人の恋愛を羨ましがっている内は成長できない。 

努力と成功体験について

こんばんわ。 レイニーです。

 

ブログ更新が数日滞ってしまい、また数か月もサボるのではと思ったので何かくだらないこと書こうかなと思い今pcとにらめっこしている最中です。

 

今日書くことはタイトル通り「努力と成功体験について」です。

あらかじめ言っておきます。別に受験がんばっていい大学入っただの自分磨きして素晴らしい人生になったみたいな大層なことじゃありません。(そもそも僕をさっきの例えに当てはめるとまったく成功なんてしたものはないし逃げて妥協して楽しての繰り返しですwww)

 

趣味のスケボーでうれしかったことを書くだけですので、スケボー興味ない人はこの先出てくる専門用語がたくさん出て来て読んでてつまらないかもしれません。申し訳ないです。なるべく想像しやすい言い方で努力はします。

 

今、僕が練習しているトリック(技)は、バックサイド(BS)ノーズスライド(板の先端を使って縁石などの箱状の障害物を滑らす技)です。 

このトリックってカーブトリック(障害物を使った技)の中では比較的簡単な部類に入るらしいのですが、僕2か月半近く練習してるのに全くできないんですよねW

 

僕は2年(ブランク1年ありだけど言い訳ですね)もスケボーしている癖に下手糞だと自負してます。なんでもすぐメイク(技ができること)できるスケーターでしたら、センスがないと言われてしまえばそれまでですので返す言葉もありません。くうぅうう~!ww

 

そんな僕でも最近少しだけですが形になってきたんですよね。僕なりにYouTubeやネット記事で研究し、それを基に練習して自分の姿を動画に収めて「どこが悪いのか?」「どこが上手い人と比べて違うのか?」というようにいろいろ試行錯誤して練習してきました。その努力の結果というべきなんですかね。今日、少しだけですがカーブボックス(箱状の障害物)に掛けて少し滑らすことができたんですよね。

 

まだ、僕が理想としているBSノーズスライドではないのですが、今まで満足に掛けることすらできていなかったのに、それができて、さらに少しだけ滑らせれたのが今日すごくうれしかったんです。

 

僕はスケボーする日は必ず、自分が今日メインに練習するトリックは動画に収めるようにしております。 だから、2か月半前のノースラと今日のノースラを見比べてこんな僕でもできるようになってきてるんだなと実感ができます。 記録を映像に残すって大事なんだなと改めて感じました。正直2か月半全く進歩なかったので結構心が折れかけそうになっており、戦術的撤退(ここ大事。またいつか絶対挑戦する意味があります。)をしようかなと悩んでました。けど、希望が見えてきましたので、また明日から頑張れます。

 

そこで、ふと思ったのが「自分が何かに夢中になって努力し、その結果が成功へと繋がる体験ってこれからを生きる活力になるな~」でした。

 

僕は、スケボーを通してなんども「成功体験」を実感し、「明日はこの技を練習してみよう」「練習してできた技を今度は自分のモノにするために精度をあげてやろう」みたいに前向きに明日のことを考えられるようになりました。そのおかげかは定かではないのですが、僕自身の性格も以前より前向きになれた気がします。

 

そして、僕がスケボーに焦点を置いて様々な物事を関連付けているので下記の発言はあくまでも個人的な考えです。

 

スケボーでもやはり人によって上達の速さは異なります。めっちゃ成長早い人もいてどんどん上手くなる人もいれば、なかなか上達しない人もいます。 僕はどちらかというと後者です。 前まで僕は、この劣等感がすごく嫌で苦しい思いをしていた時期があります。(自分より後に始めた方がどんどん僕よりうまくなって次々新しい技を覚えてくるとすごくへこんでました。)

 

けど、最近は僕自身の成長だけに目を向けています。 そして、自身の努力を動画に収めて「その成長」に喜びを感じれるようになりました。 他の人がどんなに上手くなろうともその人も努力しているんだし、スケボーを楽しんでいるんだから劣等感を感じるのはダサいし辞めようと思えるようになりました。 そして僕自身が誰も共有することのない「僕だけの成功体験」に喜びと楽しさを感じるようになってから、周りのことを必要以上に「勝手」に気にして、「勝手」に劣等感を感じなくなりました。そして、僕だけの成功体験を他人に褒められたい、認められたいがためにおこがましく見せびらかしたいなどの醜い感情もわかなくなりました。

 

僕が、スケボー通じて技術的に成長したのですが(まだまだ理想に遠いですがね)、人間面での成長もできたような気がします。 スケボーで得たこの思考はスケボーだけじゃなく、これからの人生にも活用していくつもりです。 

 

確かに周りと競争するのは競争心が湧きいいことだと思いますし、時には必要な場合もあります。けど、僕は少なくとも趣味にはこの感情を持っていきたくはないです。 自分自身が今できる限界を日々超えていく気持ちで楽しく努力しようと思えました。 

 

自身の成功体験だけに喜びを感じ周りと見比べず、劣等感を抱かないっていう気持ちは僕の生き方になりました。 けど、この考えを過大に正当化すると「怠惰、迷惑な自己中」になる恐れがありますので、時には自部自身を厳しくし他者と競争する必要があります。 なにごとも匙加減が大事なのと過信はよくないってことですね。 社会に出て会社で怠惰になれば生きることができないし、趣味も満足に楽しめなくなりますので時と場合によっての使い分けを心がけなきゃです。 まだまだ、現状の自分に満足せず精進しなきゃですね。向上心大事。

 

もし、この記事を読んでる方で回りと見比べすぎて劣等感に悩み、明日に対して後ろ向きな方がいましたら、自分の中ででいいですので、どんな小さな努力からなる小さな成功体験を思い出して自分を褒めてあげてください。 「私にはこんなことをがんばってできるようになったんだぞー」って自分自身を自慢してあげてください。 それすらないよって方は自分が興味あるものを探して挑戦してみてください。 料理でもスポーツでもなんでも。 旅行でもいいと思います。 「どこに努力と成功体験があるんだよ」って思いますが、旅行の準備だってある意味楽しむための努力だと思う。そして、その旅行でいい思い出ができたらそれは準備という努力をしたからいい思い出ができたという成功体験なんだと個人的に思っております。 とにかく興味を持ったものに挑戦してみて自分自身で努力からなる成功体験を得てみてはいかかでしょうか? そして、自分自身に誇ってやってください。 自分を大切にしてください。 自分をたくさん甘やかしてください。 けど、匙加減は大事です。 何事も過剰はよくないです。 適度に鬱にならない程度です。

 

今日は、趣味を通して僕だけの思考を書いてみました。 まああくまでも僕は「こう考えて生活しているよー」みたいな感じですので、「ほーん。へーそうなんだー」みたいな感じで受け取ってくれたらうれしいです。 毎度のことですが、人の生き方に偉そうなことを言ってしまい申し訳ないです。 気に食わなかったら無視してくれて結構です。 自分の都合のいい捉え方をしてください。(これも生意気だなw) 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

追伸

 

 

俺は自分の好きなことを否定したりケチ付けてくるやつとは、仲良くする価値ないやつ認定して普通に距離取って逃げる。 そんなやつに俺の時間を使いたくもないし共有したくもないしね。

 

 

 

今日見た映画について

こんばんわ。レイニーです。

 

今日もこちらの地域は雨が降っており、家に籠って卒研に取り組むのが億劫になって午前中映画を見に行きました。(安定のボッチ行動です) その映画に思うことがあったのでダラダラ書いていこうかと思います。

 

今日見た作品は「MOTHER マザー」でした。

僕は(自称)映画評論家でもないし頻繁に映画館で見るほど映画通でもないので、あくまで僕が感じたことを記していきます。※ここからはネタバレも含みますので注意してください。 抽象的に表せるように努力します。

 

この作品は元々気になっておりました。 というのも、この作品は実話をベースにしてできております。(あらすじや内容は書くのめんどくさいので他のブログなどをご参考してください) 事件が実家と同じ埼玉県で起きた話でしたので、「知っておきたいな」という気持ちがきっかけです。

 

作品を視聴する前に、あらかじめ少しだけ事件の内容は学習して足を運びましたので、胸糞展開になるという心構えは出来ておりました。 けど、実際に作品が始まった開幕の「舐める」演出が出た瞬間「あ、これやばいやつだ…。」と軽く絶望しました。

 

そして、まあね。 案の定、終始見てていたたまれないですし、後半にかけては吐き気を催すくらいキツかったです。 ちょっと、見たの後悔したレベル。 なにより、一部の大人を除いてなんですが、登場人物の大人組がほんと碌なやつがいませんでした。

 

さらに僕が作品を観てる最中ずっと思っていたことは、登場する成人男性(おじいちゃん除く)に対して「下半身でしか物事考えられないのか!?」っていうくらいまじで汚い性欲丸出しの醜い生き物でした。 同じ男としてマジでありえませんね。 怒りを感じますよ。 

 

ほとんどの人が子供のことを考えずに自己中心的な人しかいなくて、救われないお話でした。 

 

家についた後は、もう一度今回の作品の土台となった実際の事件や主人公の少年について調べました。 やはり、実話をモチーフとした映画でも変更点はありました。 しかし、実際の事件の内容の方が遥かにえぐい内容で衝撃を受けました。

 

主人公の少年について調べていくうちに、2つの曲にたどり着きました。すごい印象に残りましたので、ここに紹介しようと思います。

 

1つ目の曲は、松井亮太さんの「存在証明」という曲です。 この曲は主人公の少年が松井さんが以前所属していたバンドのグループの「あかり」という曲を聴き、「もっと早くこの曲と出会っていたかった」とのことです。 もっと詳しく知りたい方がいましたら、曲名を検索すればネットで出ますのでそちらをお勧めします。

 

2つ目の曲は、同じく松井さんが所属していた「ワカバ」というバンドで、自殺対策プロジェクトのキャンペーンソングの「あかり」という曲です。 上記の曲と同じです。

こちらも僕なんかが書く言葉よりもっとうまい方が書いたものがありますので、そちらをお勧めします。

 

ここからは、僕がこの2つの曲を聴いて思ったことを書いていきます。 この2つの曲を聴き終わった後、「いい曲だな」という大まかな括りに入れられませんでした。 また、「曲調やリズムが好き」とか「サビがよかった」「歌詞がいい」などのありふれた言葉で表していいのだろうかという気持ちに悩みました。 けど、これだけは言えます。

 

この曲は、「BGM感覚で聴く曲じゃない」です。 これは、僕が映画を見たばっかの心情だったからなのかもしれません。 けど、僕の個人的な意見としては、「存在証明」「あかり」は必要な時に聴くのが一番いい気がしました。 

 

映画についても、まだ思うことはありますので書いていきます。 この映画に対して僕は「おもしろい」「人にお勧めしたいほどいい映画だ」なんて思っていません。 むしろ、生半可な気持ちで見るべきじゃないなと思いました。 僕自身、しっかり著書(誰もボクを見ていない)を読んでから見るべきだったかなと後悔しております。

 

けど、確実に「考えさせられる」映画だとは思います。 そして、僕は自分の家庭環境にとても恵まれているんだなと改めて実感し、両親やお世話になっている方に感謝の思いがこみ上げてきました。 他人事かのような言い方ですが、実際他人ですし僕に何かしら直接影響はないので冷たい言葉ですが言わせてもらいました。 しかし、僕はその少年に対して「かわいそう」などの同情を向けるのは僕自身がなんか違うなと思っておりますのでしません。 これ以上この話を掘り下げるのはやめときます。 あまり、さらけ出しすぎるのもよくないかもしれませんしね。

 

そもそも、映画に対して「駄作」だ「良作」だなんて決めるのは結局は他人の意見なわけですし、自分の目で観て、自分の中で何かを感じ、思い、消化することに意味があるのだと思っています。 その過程を経て「駄作」や「良作」といった定義をつけるのではないでしょうか? 別に定義をつける必要もありませんしね。 結局は個人(自分の中だけで)の自由に楽しむべきなんだと思います。 

 

そういった意味では、僕は今回観た映画は「ため」になりました。 そして、この映画を通さないと得られなかったであろう2つの曲を知ることができました。 だから、観てよかったです。 

 

それでは、今回はここまでとします。 読んでくださりありがとうございました。

皆さんの中ですばらしい映画と出会えることを願っております。 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

追伸

 

作品を観終わった後は、僕はすぐに運転できずしばらく車の中で、言葉に表せない感情の整理に時間を使いました。 その後は、無性にamazarashiの「性善説」「穴を掘っている」のpvと「カルマ」を視聴して安全運転で帰りました。 (余談兼推しがうざいですね。ごめんなさい)

今日1ショックな出来事について

こんばんは。レイニーです。

 

こっちの地域は今日(昨日)も雨でした。

 

雨の日はスケボーのデッキ(板)やトラック(タイヤを繋げてる金属のとこ)にあまり良くないから本当は滑るのを控えるべきなんですよね

 

けど、我慢できずに(三日も滑れてないから)トンネルがある場所でぼっちスケートをしました。

 

僕は基本独りでいろんなスポットやパークを気分で行くことが多く、あまり特定の集団の人達と予定を合わせて滑る機会がありません。(そういったグループには憧れはありますが、なぜか今まで縁がないんですよね…w)

 

けど、僕と同じでもともとソロスケしてる方たちとは割と気が合い、たまに一緒に滑ったりしてます。

(むしろお気に入りのスポット行けば普通にその方もいるので予定合わせたことあんまり無いですねw)

 

さて、上記の話は別にショックな出来事でもなんでもないただの無駄話です。

 

ここからが今日1ショックな出来事だったんですけど、家帰ってメールの通知に愛してやまないamazarashiの2020年ライブが延期になってしまったことについてです。

 

まあ、しょうがないんですよ。だって最近また全国でコロナ感染者数が増えてますし、薄々と「また延期になるんじゃないかなー」なんて正直思いました。

 

けど。けどさああああああああ!

 

今年で大学卒業して来年は新卒社畜なんですよ。つまり、自由気ままに明日のことを考えずにライブを完全に楽しめるのが今年一杯までだったんです…泣

 

新卒でも、もしかしたら有給とか取れてライブいけるかも知れません。(フルでしっかり使い切りたいなー)

けど、「明日仕事あるわ…」みたいな憂鬱な気持ちが少なからず混じってしまうのが苦痛で仕方ないです。

 

今回の2020年ライブ実は既に延期になっております。 僕は5月に二日間連続で東京ライブがありました。

 

流石にあの時は世間もヤバかったんで、延期になるのは予想してましたし、完全中止じゃないだけでも嬉しかったです。

 

けど、11月のライブまで先送りにされると結構心のダメージでかいですね。 ガチめに今年の生きる楽しみでもありましたし…。

 

そんで、今回のライブは今年3月にリリースした「ボイコット」という僕史上一番好きなアルバムです。

それらの曲が生で聞けれるという楽しみが今年聞けないという現実にただただ残念で仕方ありません。

 

ただ、今回コロナだからという理由で延期になっただけなんで来年生きる活力としてまた堪え忍ぼうと思います。

 

別に最近のコロナ感染者数が爆増したからそいつらのせいでだなんて思っていません。 

そいつらのせいにしてしまう、僕だって大まかな括りに入れると外出してますし責めるのは自分の中でなんか違うなーって気がするんです。

 

もう誰が悪いとかあいつのせいでみたいな風潮が今はテレビやTwitterなどのsnsまとめサイトなんかでたくさん目にする機会が多いと思います。(僕は結構目にします)

 

なんか、(自分の中では)傍観者のつもりでいますけど、今は誹謗中傷や炎上なんかを目にすること自体が憂鬱な気分になりがちです。 もともとTwitterとか好きでしたけど最近は遠ざけてます。

 

たぶん、僕もみんなも色々我慢の連続で、それが限界にきて疲れてきるんでしょうね。

 

けど「疲れた」「我慢の限界だ」という理由で他者の心を絶対に傷付けさせたくないと僕は自分自身に心がけていきます。

 

そのために、今は好きな趣味に没頭する。ライブに行けないのならamazarashiの曲をめちゃくちゃ聴いて、ドライブ中に熱唱しまくろうっていう感じで気持ちを楽にさせています。

 

どうか、皆さんも自分の心の容量を理解してうまく付き合ってください。 僕も他人事じゃなく、自分に言い聞かせるように今回の記事を書いた節がありますし

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

「ボイコット」アルバムで「拒否オロジー」→「とどめを刺して」→「夕立旅立ち」→「帰ってこいよ」の4曲の順番がたまらなく好きです。 夕立旅立ちのイントロえぐすぎませんか? わかる人いるかな…。 理論武装の時からずっと楽しみでした。 帰って来いよはもう僕が実家に行く時一番にかけます。4曲とも語ると長くなります。大好きです。

 

「さよばらごっこ」と「月曜日」はリリース当初からめちゃくちゃ聴いてますので割とお腹一杯です(けど、大好きです。未夜ライブすごいよかったわ…)

 

個人的に「アルカホール」今アルバムの中ですごいスルメです。 bメロのサビ超好きです。

 

「マスクチルドレン」はこの間のオンラインライブで今めちゃハマっております。どちらかというとアコギ版の方が好きです。

 

「抒情死」と「死んでるみたいに眠ってる」も今回の「拒絶」の(個人的に)テーマの歌な気がして尖ってて好きです。多数決感あって好きです。

 

「リビングデッド」は新言語と未夜のトップバッターだけにほんと中毒性が高い。今後もライブでも流して欲しいな(本当にお願いします)。ドライブ中は必ず熱唱してるほど好きです。ぶっちゃけると、リビングデッドは検閲済みもCDで欲しかった…。独白はあるのに…。

 

「独白」はまたライブと違った感じがいいですね。「白◯でキチ◯◯」が聞けるだけでもう満足すぎます。本当に新言語の時は痺れました。超かっこいいです大好きです。

 

「未来になれなかったあの夜に」もう最高。以上。好き。ざまあみろ。

 

「そういう人になりたいぜ」たぶん一番このアルバムの中で好きです。 千年幸福論の締めも「未来づくり」だったしすごい自分の中で、この2曲に共感性を感じてます。(言葉でなんて言っていいか語彙力なくてでないや。人それぞれ感じ方違うしね)

 

あとは、アコギで5曲も付属されててゆったりしたい時はいつも聴いてます。

 

あとはDVDもよかったです。本当によかった…。

 

 

どのアルバムも甲乙つけがたいけどあえて一番を決めるなら僕は今回の新アルバムを推しますね。

 

ぶっちゃけると、どの曲もアルバムも全部素晴らしいんだけどね。

 

追記の方がめっちゃ書いた感あるな…。